オレは、あっさりと昨日までの仮説を捨てた。自慢じゃないが、オレは細かいことにはこだわらない。プライドよりも効果的、効率的な方を選ぶ。
オレは、柳沢が持ってきたオフィスの平面図に監視カメラの位置などを書き込んだ。オフィスには複数の監視カメラが設置されているが、いつくも死角があった。カメラの位置と向きを注意深く確認すれば、誰にでも死角の位置はわかるだろう。
ため息をついて横を見ると、掃除のおばちゃんが、大きな掃除機を引きずって歩いていた。おばちゃんの制服を見ると、サイエッグ社の子会社のビル管理会社の名前が書いてあった。オレはしょうこりもなく、今度はおばちゃんの尻に目を奪われた。
これじゃオレが岸田をいじめているみたいじゃないか。困ったもんだ。オレは頭をかきながら、周囲を見回した。冷たい視線がオレと岸田に向けられていた。
そうか、作れるのか、じゃあお前が犯人だ。そんなソフトを作れるヤツはオレの知る限りどこにもいない。もしもお前が作れるならお前が犯人だ。なんてことにはならない。こいつは単に知らないのだ。
しゃくだが、どうデータを盗んだのかわからなかった。だが、オレのカンはこの席のヤツが犯人だと言っている。物事は複雑なように見えても単純にできていることが多い。
拡散には、いくつかの段階がある。例えば、二〇一〇年十一月に漏洩した警視庁外事三課の機密ファイルは、次のような三段階を経て拡散したと言われている。
オレが説明すると、柳沢は絶句していた。そりゃそうだ。金科玉条の如く守ってきたルールは実はなんの役にも立たないってわかったんだからな。
柳沢が、いやな笑いを浮かべた。監視カメラで全部わかるわけないだろ。
「それはそうですが…そんなことをする人間とは思えません」 柳沢は、言い終えるとくすりと笑った。意味もなく笑うってのは、いやなクセだ。なんでこんなへらへらしたヤツが、緊急対応してるんだ?
お前の推理なんかいらない、と言ってやりたかったが、大事なクライアント様だ。あまり邪険に扱うわけにもいかない。
ほとんどの会社は、サイバーセキュリティのトラブルを表沙汰にしない。公的認証や認可が取り消されるとか、上場準備に支障が出るとか、取引先の信用を失うとか、そういう理由でだ。
たまにいるんだよね。そういう粋がった野郎がさ。『攻殻機動隊』好きだろ。それとも『王様たちのヴァイキング』か?
ようするにスパイウエアじゃないか。堂々とスパイウエアを送り込むので、インストールしてくれとはあきれた相手だ。私をなめているのか。こんな見えすいた罠を仕掛けてくるとは、なめられたものだが、相手のレベルが低いことがわかって逆に安心だ。
それから地下鉄構内のエクセルシオールカフェに入る。まずいコーヒーを注文し、口をつけないまま、PCを操作する。ここでは、Metro Free Wi-Fi という公衆無線LANを利用してインターネットに接続できる。
「シーズン6は、工藤作品にしては珍しく、最後もきちんとカタをつけるというか、カタルシスのあるフィナーレを迎えます。その意味では、工藤シリーズのもっともミステリっぽい作品の一つといえるかもしれません。」
「『ワンタイムアタッカー』の執筆時点では、日本ではそれほどソーシャルメディアによるプライバシーの脅威というのは話題になっていませんでしたが、ようやく実態に近づいて来た感があります。」
「無理だから、それ。警察に通報しちゃった。簡単だよ。吹田さんが税金を払う覚悟を決めれば、警察に連絡できるんだ。まさか、税金払うと思わなかっただろ。甘いな」
「では、基本チャージ二百万円に、成功報酬三百万円でいかがでしょう? 二百万円は情報を買った費用の原価みたいなものです」 真田が揉み手しながら言うと、吹田は苦笑した。実際には、五十万円もかかっていない。
しばらく全員が黙った。それぞれ頭の中でオレの謎解きを反芻しているのだろう。 「金を取り戻す方法はあるのか?」 吹田が口を開いた。
吹田が大声を上げた。 「つじつまが合わない。犯人は、二回オレの口座から金を送金している。一回目の送金の時、ニセモノはトークンを持っていなかった。トークンなしでどうやって送金したんだ? それに送金を二回に分ける理由がない」