このように、Desire of Codesの部屋はセンサーと画像と音響のプロジェクション機能を両方持つ。取り込んだ画像は常にデータベースに取り込まれ、室内に居る人間の行動のセンシングにより取り出されては、複眼プロジェクターに送り込まれる。センサーエリアに人間が誰もいなくなると自動的に画像データのサーチが始まり、細切れのビデオクリップが次々と高速にスキャンされるようになる。全体の動作を決めるマスターコントローラーのようなものは無く、それぞれの機能と人間とのインタラクションから得られた情報を元にして、システムが動的に状態を変えて行く。
Desire of Codesの単純な体験感としては、個人のプライバシーをロボットにトラッキングされる監視社会、といったものかもしれない。新聞にそのような作品評が載ってから急に観客が増えたという話は、多数の人にとっても気になる話題だったためであろう。
しかし12月16日に開催されたアーティストトークでは、元のアイデアはその印象とは違っていたことが明かされた。最初は、センサーを積んだ自律飛行する多数の小型ヘリコプターの群れが、会場に入った観客に45cmの間隔まで接近して周りにまといつくといったものだったが、自律飛行ヘリコプターは高度な技術を要すると判り、違う形での表現を模索したそうだ。英語タイトルの「Desire of Codes」に対し日本語の「欲望のコード」は敢えて裏返したという。またオーディエンスからの「着想はどこから得るのか?」という質問に応えて、Gmailの広告の観察を例に挙げていた。メールの内容や添付画像などに反応して何が広告に出て来るかを観察しているそうだ。ネットは生活の一部となり私達は日常の多数の時間を過ごすようになったが、そのような日常から着想を得るのだという。
三上の作品には、認知できる知覚と認知できない知覚の間に存在する薄い膜のようなものを浮き彫りにしてくる印象が常にある。テクノロジーを使わない1993年のICONOCLASMのようなインスタレーション作品でもそこが鮮やかだった。Desire of Codesでは、情報環境と物理環境の両方に同時に生活する二重化された現代の個人とその環境の間に存在する薄い膜。あるいは情報環境の日常から見える世界と、普段はバックエンドとして見えない存在にあるコンピューターのCodeとの間にある薄い膜。そして、Codeがじつは人工生命のように自律的に動作しているかもしれない現実が既に存在することを突きつけて来る。
Desire of Codesは2005年に初作が発表されたのちバージョンアップを重ね、2010年3月に山口情報芸術センター [YCAM]にて、今回のICCでの展示で見られた「蠢く壁面」「多視点をもった触覚的サーチアーム」「巡視する複眼スクリーン」という三部構成の大規模なインスタレーションとして発表された。その後ドイツのドルトムント、オーストリアのウィーンと展示され、今回のICCはよりスケールアップしたものになった。作品はこの後2012年3月からロシアのサンクト・ペテルブルグで展示される。