如月が満面の笑みで付け加えた。これがもうひとつの重要な要素だった。こんなことは長く続けられない。でもたった五年でよいのだ。
佐藤の表情が険しくなる。全く予想していなかった結論なのだろう。だが、これが論理的な結論だ。それにしても佐藤がここまで感情的な反応を見せるとは思わなかった。
「今回の事件は『超可能犯罪』です。君島さんがこの事件を私たちに託したのは、典型的なサイバー犯罪のテンプレートにあてはまるからでした」
「そのふたつに絞って、もう一回データを確認する? あれ? ちょっと待って大事なことを忘れていたんじゃない?」
如月は手を引っ込めると、ぺらぺらと念仏のようにつぶやきだした。それは違うんじゃない? と突っ込みたいが、いつものことなのでスルーする。ああやって話すことで頭を整理しているのだ。本人も話している内容が正しいとは思っていない。
箱崎はわくわくしてきた。こうやってふたりで話しながら可能性を確認してゆくのは楽しい。見ていた世界ががらっと姿を変えることも多い。今回もそうなりそうな気がしてきた。
今、佐藤は自分がしてきたことを受け手の立場で解析している。Fatebook 社がアジア各国に提供してきた無償インターネットサービスがなにをもたらしたか、SNS がなにをもたらしたか。
あいつらどこまでやるつもりなんだ。本当にできるのか? 佐藤は半信半疑になったが、それでも数カ国分のデータをまとめて送る。ふと気がつくと荒垣がにやにやしている。
「さきほどの二つ目の答えをうかがっていません。なぜ、ご立派な結果が出ているのに、ここにいらしたんでしょう?」
問題はそれだけではない。多くの人々が Free Basics 経由で情報にアクセスするようになり、ひたすら世論への影響力が拡大する。一部では“Fatebook の悪魔”と呼ばれている。
如月の言葉に佐藤はにやっと笑う。初めて佐藤の人間らしい表情を見た気がする。さきほどまでは、よそいきの顔だったのだろう。それにしても一気に話が進んでしまった。これじゃ、こちらの出番がない。
佐藤の言葉に箱崎は目を見張った。まさか直接兵器を与えたりはしていないと思うが、どのような形でも少数民族虐待を行っている軍隊に支援するのは平和国家という看板をぶら下げている日本らしくない。
如月が立ち上がる。見た目はいつもと変わりない穏やかな笑顔だが、いつも一緒にいる箱崎には明らかに違うことがわかる。やる気まんまんだ。金払いがよさそうだからだろう。
公開情報というと大したことないように聞こえるが、世界中がネットでつながっている現代では、OSINT によってさまざまな秘密が暴露されている。有名なのは 2014 年 7 月に墜落したマレーシア航空 MH17便が実際にはロシアによって撃墜されたことを暴いたベリングキャットの記事だ。ベリングキャットはイギリス人ブロガーのエリオット・ヒギンズが始めた調査報道サイトであり、世界でもっとも有名な OSINT による調査報道サイトとなっている。
「このうち選挙の手続きと政治参加以外のカテゴリーは、指標ができた 2006 年以降、悪化の一途をたどっています。中でも政府機能つまり透明性、説明責任、腐敗、人権などについては特に悪化がひどい。荒垣さんのお言葉をお借りすると、世界の民主主義は緩慢な死を迎えつつあると言ってよいでしょう」
「君島さんからメールだ。なにこれ?」そう言いながら送信元を確認して開く。君島は以前一緒に仕事をしたことのあるフリーのサイバーセキュリティコンサルタントだ。如月姉妹社にとびきりやっかいな仕事を持ち込んでくることが多い。 “ 外交研究所の荒垣さんに紹介した。いずれ連絡がゆくと思う。よろしく。依頼するのは『民主主義を殺した犯人』を特定する仕事だ ”