「シミュレーションモデルとそのもとになった資料をください。情報を整理します」
急に如月がスマホから顔をあげて話に割って入ってきた。佐藤が驚いて如月を見る。
「佐藤さんはもう結論を出してらっしゃると思うのですけど。よかったら、そこからお話いただけますか?」
箱崎は如月の顔をまじまじと見る。いったいなにを言い出すんだ。
「なぜ、わかったんです? 調べる時間はなかったはずだし、調べても僕がどこまでなにをしているかわからないはずです」
「すみません。箱崎が話している間に調べました。アメリカのインディアナ大学にいらしたんですよね? あそこのデータサイエンス研究所のフェローのオニールは知り合いでして、佐藤さんのことを訊ねたら最近マンマーのシミュレーションモデルを動かしていたとうかがったものですから、ああこれはすでに全ての可能性をシミュレーションモデルに入れて結論を出してらっしゃるだろうと考えたのです」
如月が一心不乱にスマホをいじっていたのは、それを調べていたのかとやっとわかった。それにしてもアメリカのインディアナ大学のデータサイエンス研究所に知り合いがいるというのは初耳だ。この女の人脈は予測不能だ。
「シミュレーションモデル? なんのこと?」
箱崎は話が進む前に確認した。ここで置いていかれると、この先の話が見えなくなる。
「佐藤さんは数理モデルで社会現象を解析する計算社会学の専門家だったんです。ネット世論操作ではインディアナ大学といくつかの研究機関が DARPA(アメリカ国防高等研究計画局)の予算でシミュレーションモデルを構築していて世界各地のネット世論操作をモデル化していると聞いたことがあります。それを使えばマンマーの民主主義を殺した犯人も簡単にわかったんじゃないかと思いました」
如月の言葉に佐藤は頭をかいた。
「まいったな。オニールは僕がインディアナ大学にいた時の友達です。まさか如月さんが知り合いとは思いませんでした。それにしても計算社会学を知ってらっしゃるとは意外です。僕が使ったモデルではマンマーの大衆の行動をシミュレーションできます。操作したパラメータは、国軍、ウンサンスーチー、Fatebook の対応、アジムヴィラノという仏教徒の指導者、国連……主なものはこれくらいです。彼らがなにをすると、どんな風に民衆が反応するかをシミュレートできます。これを使って今の状態と同じ結果が出るパラメータの状態、つまり国軍やウンサンスーチー、アジムヴィラノたちがなにをしたかを逆算したんです」
「結果から逆算すれば自動的に原因や犯人を突き止めることができるということですか?」
「完全自動ではなくて、人間のチェックが入っています。途中ですでに明らかになっていることとつきあわせて明らかに違っていたら補正しますが、原則は自動です」
「過程と結果はどのように検証できます?」
「さきほど申し上げた人手によるチェックを行っていますので、あまりにもおかしな結果が出れば問題があることがわかります。マンマーは政府や民間企業からの解析依頼も多いので、かなりブラッシュアップされていると考えて問題ありません」
佐藤は自信たっぷりだ。だったら最初から言ってくれ、と箱崎は思う。
「結果をうかがいましょう。それと、その結果があるのに私どもの事務所にいらした理由もうかがいたいですね」
如月の言葉に佐藤はにやっと笑う。初めて佐藤の人間らしい表情を見た気がする。さきほどまでは、よそいきの顔だったのだろう。それにしても一気に話が進んでしまった。これじゃ、こちらの出番がない。
「結論から申し上げます。犯人はマンマー国軍でした。目的はウンサンスーチーの影響力を下げ、できれば政権から追い出すこと」
マンマー国軍は政権を掌握するために、ドヒンギャ問題を拡大して国内外でウンサンスーチーの評価を貶めようとして成功した。ウンサンスーチーを支持していた人々でもドヒンギャを拒絶し、迫害して当然と考えている者が多い。もしウンサンスーチーがドヒンギャを擁護すれば国内の支持を失うだろう。かといって国際社会から期待されている役割としてなにもしないわけにはいかない。矢面には立つがなにも具体的なことはできないというジレンマに陥った。国内外のどちらの支持も失った状態だ。国際社会にはウンサンスーチーへの失望の声が広がっている。ノーベル平和賞を取り消すべきだという言い出す著名人もいる。ほぼ軍部の狙い通りの結果となっている。
佐藤の説明はわかりやすく納得できるものだった。なぜ荒垣はここに来たのだろう、すでに結論は出ているのに。
「その資料を見せていただけますか?」
如月が催促する。
「あ、はい。でも数式と統計データばかりですよ」
佐藤は困惑した表情ながらも USB スティックにデータを移して如月に差し出す。
「だから拝見したいんです」
つづく