「その資料を見せていただけますか?」
如月が催促する。
「あ、はい。でも数式と統計データばかりですよ」
佐藤は困惑した表情ながらも USB スティックにデータを移して如月に差し出す。
「だから拝見したいんです」
如月が佐藤から USB を受けとったので、箱崎は気を利かせて如月のデスクから MacbookPro を持ってきて渡し、横からのぞき込む。なにかの操作画面のようなものが表示されると、如月は慣れた手つきで操作し、グラフや数表を表示した。箱崎はわけがわからない。ぼんやりわかったのはこれが佐藤のシミュレーションの結果のデータなんだろうというくらいだ。部分的に「ウンサンスーチー」「マンマー国軍」などの文字が見える。
「直接的な影響力は軍とアジムヴィラノが突出しているんですね。軍は武力行使で、アジムヴィラノは SNS を通じてヘイトスピーチとフェイクニュースで信徒を動かし、ドヒンギャの虐待を煽っていたということですか。軍はアジムヴィラノに資金面で支援もしていたんですか、驚きです」
「すぐにそこまでわかるなんてすごすぎます。以前にこの解析ツールを使ったことがありますね?」
佐藤の目つきが変わった。さきほどまでは、こちらをなめていたのだろう。
「仕事ですから」
如月の口癖だ。面倒なことを訊かれるとなんでも「仕事ですから」で済ませてしまう。
「しかしこのモデルを使ったってことは研究者でなければ安全保障関係しかありえないです」
佐藤は食い下がる。如月が計算社会学に通じていてシミュレーションモデルも扱えることがそうとう意外らしい。
「そんなことよりも直接間接含めた全ての影響や相互作用を加味した上での総合指標もあるはずですね。どうやれば確認できます?」
「サブメニューから見れます。第二位が軍でした」
「ああ、ありました。軍部が二位? 一位は SNS = Fatebook とWhatsOn ですか。もっともよく使われたツールなのだから当然と言えば当然。すさまじい威力ですね。間接的な要因いわば触媒のように機能したのが Fatebook と WhatsOn で、直接的には軍とアジムヴィラノということなんですね」
「そうです。マンマーでインターネットが急速に普及したのは 2014 年に Fatebook が無償インターネットサービスを提供してからです。だからどうしても大きくなります」
佐藤はわかるように言ったつもりだろうが、箱崎にはよくわからない。前提となる知識が欠如しているせいだ。如月が箱崎に顔を向け、佐藤の説明の補足を始めた。
「“Fatebook の悪魔”と呼ばれる Free Basics ですね」
Fatebook はネットがまだ普及していない地域に無償のインターネットを提供するサービス「Free Basics」を提供している。当然、そこで利用できるのは Fatebook とそのグループ(WhatsOnなど)のサービスおよび Fatebook が認めたサービスのみだ。Fatebook が認めたサービスというのは要するにスポンサーのサービスである。これが始まると安価なスマホととともに一気にその国のネット普及率が増加する。「デジタル植民地主義」と批判される由縁だ。問題はそれだけではない。多くの人々が Free Basics 経由で情報にアクセスするようになり、ひたすら世論への影響力が拡大する。一部では“Fatebook の悪魔”と呼ばれている。
マンマーでは 2013 年におけるネット利用率は 13 %だったのが、2016 年には 85 %に達しており、Fatebook 利用者は一千万人だ。
ようやく箱崎は状況がのみ込めた。この分野は苦手だ。それにしてもさっきまで箱崎がしていた質問がムダになった。これじゃ如月の前座だ。
「Fatebook や WhatsOn がそこまで影響力があるという実感がわきませんが、シミュレーション結果は確かにそれを示していますね」
「その通りです。以前、ロイターがこの問題を特集した際、”Hatebook”と冒頭に書いてありました」
「軍がそれをうまく利用してウンサンスーチーを追い落とそうとして、成功しつつあるというシナリオですか……。しかし国際社会からの批判は問題になりませんか? 結局、ウンサンスーチーが復権したのも国際社会からの圧力があったからでしょう」
「状況が違うんです。ウンサンスーチーが復権した 2015 年頃はまだ国際社会と西側というか民主主義国家がほぼイコールでした。2015 年くらいがそういう時代の最後だったと言ってもよいでしょう。今は多様化が進んで一枚岩ではないんです」
国際政治の話になってきて、箱崎は完全に聞き役に回った。こうなると、出番はない。
「どういう意味ですか?」
つづく