PPP ・神話
一時間ほど打合せを行った後、ふたりは休憩した。如月が珈琲を淹れ、箱崎はさきほど買ってきた脳を活性化する素材=ケーキを冷蔵庫から出す。何も言わなくてもいつもの役割分担で自然に身体が動く。
ほぼ同じタイミングでダイニングテーブルで向かい合って座った。
「今日はオーソドックスにモンブランにしました」
箱崎はそう言いながら、皿に載せたケーキにフォークを刺し、如月はひとくち珈琲を飲む。
「古い神話と新しい神話」
如月はモンブランを食べながらつぶやく。箱崎は無視して珈琲を飲む。勝手に三日後納品にしたり、佐藤の目の前でスマホをいじったり、落ち着きのない子供のような奔放さがある。見かけは大人びて見えるので、初対面の相手はだいたい驚く。荒垣のように鷹揚に受け止められる人物は珍しい。如月姉妹社の主要顧客層となる、プライドの高い大手企業の IT 部門の長などを如月が怒らせるのは日常茶飯事だ。
「新しい時代っていつ来ると思う?」
新しい時代というのは、如月がよく口にする言葉だ。彼女の考えでは今は過渡期で、これから新しい時代が来るのだという。
「五年後でしょ?」
箱崎は即座に答える。何度も話している話題なので、如月の答えはわかっている。彼女は五年後には新しい時代が来ると考えている。
「四年後になりました。五年後と言っていたのは去年のことです、年が改まったから四年後になった。もしかするともっと早くなるかもしれません」
「ああ、そっか。なんでもっと早まるの?」
「安全と利便性は相反するものです」
話のつながりがわからない。如月はひとつのことを始めるとそれに集中する。だから神話とか、新しい時代とか安全と利便性は荒垣からの依頼に関係あることのはずなのだが、つながりが全くわからない。
「説明してよ」
箱崎がモンブランを口に運びながら如月を促す。
「日本は国民主導の全体主義だから、この過渡期で稀有なポジションにいます」
「ますますわからないんですけど」
「今、考えてるところです」
「え? なにか考えがあってしゃべってたんじゃなくて、頭に浮かんだことを言ってただけ?」
「そうです」
突然、如月が珈琲カップを持とうとした箱崎の手を握ってきた。予想外の行動に、箱崎はまじまじと如月の顔を見る。
「仕事中だよ」
箱崎の言葉に如月はうなずく。
「金具屋に行きたいと思いました」
ダメだ。支離滅裂だ。集中状態に入った如月の思考は箱崎にはわからない。確かなのは金具屋は荒垣とは関係ないということだけだ。金具屋は昨年ふたりで一緒に行った長野県渋温泉にある温泉宿だ。
「そうね。また行きたいね」
とりあえず箱崎は答えて、如月の手を握り返す。
「地球温暖化はすでにポイント・オブ・ノーリターンを越えました。これから毎年、異常気象の猛威が世界を襲い、農業を始めとする一次産業は大きな打撃受けます。異常気象は想定していた閾値を超える津波、豪雨、高温によって発電所を始めとする各種設備を破壊し、汚染と被害をもたらします。気象変化に伴い、生態系が変化し、感染症によるパンデミックの発生頻度が増えます。これらに迅速かつ効果的に対処するためには自由と人権を制限せざるを得ません。これは中国は率先して進めている監視システムに健康などの要素を盛り込んだ包括的な社会管理システムとなります。これからの世界は緊急事態宣言が日常化した社会になります。その前提で考えると、自由と人権の優先度は下がり、表向き民主主義を標榜しながらも国家の維持を目的とする全体主義に移行することになります」
如月は手を引っ込めると、ぺらぺらと念仏のようにつぶやきだした。それは違うんじゃない? と突っ込みたいが、いつものことなのでスルーする。ああやって話すことで頭を整理しているのだ。本人も話している内容が正しいとは思っていない。
「さて、再開いたしましょう」
ひとしきり話し終わると、すっきりした顔で如月が立ち上がった。
つづく