岡田氏:最初は独立系のSIerに就職しまして、航空会社のホストシステムの開発にプログラマとして従事し、製造とテストの日々を送っていました。そのころは、ホストシステムからオープン系システムによるクライアント-サーバ型のサービスへ世の中がシフトする大きなうねりが出てきたときでした。ホストシステムとは違い、よりコンパクトかつ容易にシステムが構築できるオープン系システムに惹かれ、また新しい言語やシステム環境に触れたいという知的好奇心もあいまって、大手SIerに転職しました。そこでは、大手企業のWebサイト開発、そのシステム運用業務の改善、金融機関の大規模開発等の様々なプロジェクトに参画しました。しかし、自分の将来を考えたときに、単にシステム企画・開発・運用だけでなく、より上流でクライアントのビジネスの検討にかかわるためには、さらなるキャリアアップが必要だと思い、EYに転職しました。監査法人には初めてでしたが、当時はJ-SOX導入の時期であり、システム開発・運用の経験を活かしつつ様々な領域の仕事ができると考え、チャレンジしました。森島氏:私は1994年頃からインターネット業界に携わりはじめ、1996年に奈良先端科学技術大学院大学(NAIST)に入ってから、インターネットにどっぷり浸かるようになりました。同時に所属したWIDEプロジェクトの合言葉が「右手に研究、左手に運用」だったこともあり、研究の傍ら、WIDEプロジェクトのバックボーンネットワークやサーバ、IXなどを運用する日々を過ごしていました。その後、NAISTで教職に就いたのですが、2000年にITバブルがあり、インターネットが一般に広く浸透してくると、新しい提案をしてもなかなかデプロイされなくなりました。研究成果と実社会で顕在化しているニーズとの乖離が始まったのです。このまま研究を続けていいのかという疑問を持つようになりました。10年、20年先を見据えた研究をするのか、今ある先端の研究をアウトリーチする立場になるのか悩み、後者を選びました。しばらくアカデミックに居ながら様々な人と議論をし、乖離の原因を探っていましたが、大きな原因のひとつとして経営層と現場の間にある壁が浮かび上がってきました。であるならば、壁を崩し、ギャップを埋めるためには技術的な視点だけではだめ、経営的な視点も備えて、両者の橋渡しができる必要がある。そのように感じ、ひとまず公認会計士の資格を取ろうと考えました。公認会計士として登録するためには3年の実務経験が必要ですから、とある監査法人で会計監査、内部統制監査の実務経験を積みました。その後、ようやくITコンサルティングの世界に戻ってきた形です。EYを選んだ理由は、グローバルがフルメッシュで非常に強い連携をしているという一点に尽きます。――EYではどんな仕事をしているのですか。