「ちょっといいですか?」沢田は、もみ手で作り笑いを浮かべた。オレに訊かせたくない相談があるというジェスチャーのつもりだ。
沢田は、オレのエージェントだ。主な仕事は自分の手に負えないサイバーセキュリティ案件をオレに押しつけ、オレの出した見積もりを二倍以上に水増しすることだ。
まんまとしてやられたとしか言えない。社内の個人情報を内部の人間が漏洩させたなんていうしょぼい事件に、2,000人以上の容疑者を用意した時点で相手の勝ちはほぼ確定だ。
大島の言葉が終わる前に、オレの横に笑顔で腰掛けていた沢田が机に両手をついて頭を下げた。そして大声で謝る。「あっ! すみません! 以後気をつけます!!」
技術的な追跡が無理となれば、オレの出番だ。犯人をうまくおびき出し、罠にはめて捕まえる…という活躍を期待して呼ばれたと思うのだが、どうも今回はそうもいかないようだ。
ここはR式サイバーシステム社の会議室。ぬるい会社だからリピートオーダーがあるんじゃないかと期待していたが、本当にそうなった。しかも今回は部長自ら出てきた。グレードアップしてる。喜んでもいいはずだが、思ったよりもやっかいな案件なので手放しでは喜べない。
インターネットは巨大な昏い海だ。悪意も善意もまとまりのなく漂っている。だが、混沌の中にひとたびファネル(漏斗)が生まれれば、そこに悪意が集積され濃縮され、そして思いもよらない形でリアルを浸食しはじめる。