[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第11回 | ScanNetSecurity[国内最大級のサイバーセキュリティ専門ポータルサイト]
2018.10.22(月)

[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第11回

スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第11回 ?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

国際 TheRegister
スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第11回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

iMacがマトリックスに登場

マイケル・デルがそっけなくコメントするよりも前から、ジョブズは、自分が共同設立した会社を再建するための果敢な努力を開始していた。

1997年の夏、彼はアップルが判断を誤ったオペレーティングシステムのライセンスプログラムを終了した。同プログラムは、Macオペレーティングシステムのマーケットシェアを増やすわけでもなく、クパチーノの売上を減らしていたのだ。

最初彼は、互換機メーカーがSystem 7に対して結んでいるライセンス契約を、7月26日リリースの新たなSystem 8に延長することを拒否した。そして8月30日には、新しいMacの購入者にオペレーティングシステムの安価なアップデートを提供するMac OS Up-To-Dateプログラムから、互換機メーカーを排除した。そして最終的には、9月2日、ジョブズはアップルが主要互換機メーカーのパワーコンピューティングを、アップル株1億ドルで買収したと発表した。

確かにパワーコンピューティング以外にも、デイスター、モトローラ、パイオニア、APS、MacTell、アキア、MaxxBoxxといった互換機メーカーが存在したが、皆すぐに撤退した。UMAXは低価格市場にとどまり、最も長くもちこたえたが、1998年5月27日、ついに継続を断念した。
Power Computing anti-Intel ad from 1996

パワーコンピューティングは明らかに、アップルよりもずっと攻撃的なブランディングアプローチを行っていた


パワーコンピューティング買収の直後、正確には9月16日、ジョブズはアップルの「暫定CEO」に就任したことを発表した。

算定的最高権力者として、ジョブズはただちに、彼が「loose lips sink ships(口が緩いと船が沈む)」ポリシーと呼んだ方針を開始した。敵が聞き耳を立てている場合に備え、口を閉じておくようにとアメリカの人々に警告した、第二次世界大戦中のポスターにちなんで名付けられたものだ。以前のアップルは、ジャーナリストがエンジニアにコンタクトを取ることを許可しており、機密保持契約のもと、インク染みのついた哀れな我々に、製品を事前通知していた。しかしジョブズが復帰すると、同社は口を閉ざした。それは今日も続くポリシーだ。

互換機ドラゴンを退治し、城門を閉ざしたことに加え、ジョブズはクパチーノ城内をのぞき込み、どこかで良く目にすることがあるような、その分野で指導的とは言えない製品の無秩序な泥沼にも目を止めた。

1998年のWorldwide Developers Conferenceに集まった開発者に、ジョブズはこのことを説明した。「戻ってみて発見したのは、膨大な数の製品でした。」 もっと正確に言うなら、15種類のMacプラットフォーム、サーバ、モニタ、スキャナ、そしてプリンタだ。

「そこで私は、皆にたずね始めました」と彼は続けた。「どうして私は4400ではなく3400を勧めるべきなのか? あるいは、誰かが7300ではなく6500に飛びつくべきなのはいつなのか? そして3週間経っても、答えを見つけることはできませんでした。そして考えたんです。アップル内部で働いていて、専門家たちに話を聞いた私が3週間経っても理解できないなら、顧客はいったいどうしたら理解できるんだろう?」

ジョブズの解決案は、アップルが製造するプラットフォーム数を15から4に大幅削減することだった。彼はこれを、X軸にコンシューマ向けとプロ向けプラットフォーム、Y軸にポータブルとデスクトップ・プラットフォームという製品マトリックスで説明した。

同マトリックスには、Newtonプログラムの、ハードウェアかソフトウェアかというアスペクトが入り込む余地は無かった。1998年2月27日、アップルはNewtonの全開発を終了すると発表。これは当時のアップルのNewtonプラットフォーム製品2種、すなわちスタイラスで操作するMessagePad 2100、キーボードを搭載したeMate 300の終焉を意味した。

Apple's Newton OS?based eMate 300

アップルのキーボード付きNewtonは教育市場を対象としていた。実現はしなかった



Newtonは、ジョン・スカリーが大切にしていた製品で、ジョブズは1985年にアップルからまんまと追い出されたことに対する腹いせで、Newtonを抹殺したのかと聞かれると、スカリーはこう答えている:「おそらく。彼は私と話そうとしないので、分からないが。」

ジョブズのマトリックスのうち、2つの「プロ」向けボックスはPower Mac G3で埋められており、1997年11月にPowerBook G3が発表された。これらはしかし、アップルの以前のデザイン言語から生まれたものだった。最初のPower Mac G3は従来のようなベージュのボックスだったし、PowerBook G3は基本的に、以前のPowerBooksを改良したものだったのだ。

アップルのデザイン思考のターニングポイントとなったのは、1998年5月6日、ジョブズが発表したコンシューマー向けデスクトップだった。多くの人々が、それはアップルのデススパイラルの終焉であり、ジョブズによる華々しい再生の開始でもあったと論じている。

Apple's original Power Mac G3

アップル最後のベージュボックス:Power Mac G3


(出典:Mac-History.net クリックすると拡大)



コンシューマー向けデスクトップはiMacだった。その製造でジョブズは広く褒め称えられているが、基本的なデザインは以前からアップルに存在していた。1996年以来、アップルのチーフデザイナーを務めていたジョナサン・アイブがデザインしたものだ。

アイブは1992年にアップルに入ったが、彼のデザインセンスは(彼はブラウン社のデザイナーディーター・ラムスの熱烈なファンだった)、アップルの役員室では評価されていなかった。アイブの元同僚がThe Observerに語っている。「アップルは数年前にiMacを設計していたが、以前のボスが興味を持たず、放ってあったという噂がある。ジョブズが戻って、どんなアイディアがあるか聞いた時にジョナサンがそれを持って行き、その後のことはご存知の通りだ。」

iMacにUSBを加え、フロッピードライブを無くしたことで、ジョブズはしばしば、先見の明があるとも考えられているが、こうした決定に対する称賛は少なくとも、アップルのハードウェア開発の長ジョン・ ルビンスタインと共有されるべきだろう。彼はNeXTがアップルに買収される数年前に同社を離れ、ジョブズがアメリオに紹介し、雇うよう提案した人物だ。

1988年(原文のまま)5月の社交界デビューに間に合わせた、無謀なまでのiMacの開発ペースを管理したのはルビンスタインだった。そのイベントは、1984年、最初のMacがデビューしたのと同じ、クパチーノのFlint Centerオーディトリアムで開催されたが、これは偶然ではない。そしてジョブズがiMacを紹介したとき、同製品が14年前にオリジナルのMacが搭載していたのと同じスクリプト・フォントで、聴衆に「Hello」と同じ挨拶(しかしそこには「(again)」と追加されていたが)をしたのも偶然ではない。

最初のiMac発表の動画

もう一人、触れるに値する人物がいる。アップルの広告代理店TBWA Chiat Dayのケン・シーガル。iMacにその名を与えた人物だ。シーガルはジョブズが別の名前を提案し、その具体的な内容は明かしていないが、「ゾッとする」ほどひどいと思ったと、2009年、The Cult of Macに語っている

ジョブズは当初「iMac」という名称を嫌っていたが、最終的には気に入ったとシーガルは言う。確かにジョブズは、暖かな愛情を込めてiMacの紹介を行った。当時のコンシューマー向けコンピュータの欠点を列挙した後、彼はそのデザインを却下した。「これらは醜い! 方やiMacは、全く新しいデザインをもたらしました。全てがトランスルーセントで、中が見えるんですよ」と、ジョブズは熱く語った。「実にクールでしょう!」

ジョブズはiMacの「この世で最高にクールなマウス」(多くの人が同意しなかった評価ではある)や、あらゆる角度から見たiMacのデザインを絶賛した。「このマシンを後ろから見たところは、他のマシンを正面から見るより素晴らしい」とジョブズは語った。「まるで他の惑星から来たもののようだ。それも素晴らしい惑星から。より優れたデザイナーのいる惑星からね。」

Bondi Blue Rev. A iMac

ジョブズ+アイブ+ルビンスタイン=iMac(クリックすると拡大




ボンダイブルーとホワイトのトランスルーセントなシェルの中に、初代iMacは、当時のコンシューマーレベルのコンピュータとして適切なスペックを内蔵していた。すなわち、0.5MBのバックサイドキャッシュを持つ233MHzのG3プロセッサ、128MBまで拡張可能な32MB RAM、100Mbpsのイーサネット、33Kbpsのモデム、4MbpsのiRDA、4GBのハードドライブ、そしてトレイローディングの24倍速CD-ROMドライブだ。

しかしiMacが売れたのはスペックのためではなく、そのルックスとプラグ&プレイのシンプルさゆえだった。コンシューマー向けコンピュータの販売で、iMacは変曲点となったと言うことができるだろう。これから買おうという人々は、コンピュータに詳しい友人に、メガヘルツやギガバイトについて説明してくれと頼むことなく、単に自分の好きな物を見て購入すれば良かったのだ。

コンシューマー向けには、ジョブズはiPodやiPhone、iPadで「ものごとをシンプルに、愚直に」という哲学を貫き、収益を上げ続けた。iMacが最初に発表された日、それは8月15日に出荷される3カ月前のことだったが、アップル株は1株7.58ドルで販売されていた。うーん… 今日はいくらになっているかチェックしてみよう。

ジョブズは目のつけどころが良かったようだ。(原文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター
《ScanNetSecurity》

関連記事

Scan PREMIUM 会員限定記事

もっと見る

Scan PREMIUM 会員限定記事特集をもっと見る

カテゴリ別新着記事

(。・ω・)ゞ !!ScanNetSecurity創刊20周年特別キャンペーン実施中。会員限定 PREMIUM 記事読み放題。早割10月末迄。現在通常料金半額以下!!
<b>(。・ω・)ゞ !!ScanNetSecurity創刊20周年特別キャンペーン実施中。会員限定 PREMIUM 記事読み放題。早割<font color=10月末迄。現在通常料金半額以下!!">

サイバーセキュリティの専門誌 ScanNetSecurity は 1998年の創刊から20周年を迎え、感謝を込めた特別キャンペーンを実施中。創刊以来史上最大割引率。次は30周年が来るまでこの価格はもうありません

×