~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ
By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT
ジョブズの復権
1996年前半、ジョブズがアップルに戻った時、彼には「アドバイザー」という以上の職名は無く、「アドバイス」という以上の職務も無かった。いわば、無任所大臣だ。しかしそれは、彼がアップルを自分の気にいるよう作り変えるのを思いとどまらせはしなかった。
しかし「無欠クーデター」の噂やアップル職員のアメリオに対する信頼の欠如、そしてシリコンバレー中の多くによる、ジョブズに引き継いで欲しいという願望にも関わらず、当時のBusinessWeekの記事は、ジョブズが次のように語ったと報じている:「皆、私を巻き込もうとしているんだ。ある種のスーパーマンであって欲しいんだろう。でも、アップルコンピュータを経営したいとは思っていない。至るところで否定しているのに、誰も信じてくれないんだ。」
厳密に言えば、ジョブズはアップルを経営していなかったかもしれないが、疑いなく影響力を持っていた。彼はスカリーが熱心に進めてきたプロジェクト、Newtonを停止するよう、アメリオを説得した。彼はアメリオを説得して幹部スタッフを刷新させ、11週後には8名のうちの半数が、ジョブズの推薦によるメンバーとなっていた。ハードウェア部門のジョン・ルビンスタイン、ソフトウェア部門のアビー・テバニアンなどで、2人はNeXTでジョブズと共に働いていた人物だ。
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ジョブズは、アップルCOOマルコ・ランディの降格を働きかけ、アメリオは同意。ランディは辞職した。ジョブズはCTOエレン「愚か者」ハンコックを降ろすよう働きかけ、アメリオは彼女を研究開発からはずした。ジョブズは先進的な研究開発をカットするよう働きかけ、アメリオは同部門の予算を50パーセント削減する計画を立てた。ジョブズはパフォーマンスがお粗末な製品と製品開発の取り組みを一掃するよう働きかけ、アメリオはコンシューマー向けMacのPerformaラインを中止させ、OpenDocとそのWebツール・コレクションCyberDogの開発を停止した。
そして7月9日、アップルの取締役会はギル・アメリオに出て行けと命じた。「突然の追放」とThe New York Timesが呼んだ動きであり、パーソナル・コンピュータ業界のパイオニアだった同社が復活できるのかどうかに疑いが投げ掛けられた。ハンコックは彼と共に辞任した。
発表の際、アップル取締役会はジョブズがより大きな役割を担うと言った。彼らはジョブズにCEOの座を提供したが、自分は既にCEOであり(ピクサーの)、CEOのポジションは1つで十分だと言って、彼はこれを断った。しかし、アップル取締役会に加わることには同意した。
アップルのオペレーション責任者Jim McCluneyは、アメリオの辞任とジョブズの復帰についてBusinessWeekに語っている。McCluneyによれば、彼はアメリオとアップルの最高幹部とのミーティングに呼ばれた。「さて、お伝えするのは悲しいが、私は去るべき時だと思う」とアメリオは言った。「元気で。」 そう言って、たった17カ月間、アップルのCEOを務めたアメリオは部屋を出て行った。
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ジョブズが入ってきて、重役達に尋ねたと、McCluneyは思い起こす。「OK、ここの何がまずいのか、話してくれ。」 2、3のはきとしない返答を受けると、ジョブズはまずいのはアップルの製品だと反論した。そして彼は、それらの何がまずいのかについて、はっきりした意見を持っていた。「最低の製品だ! そこにはもう何の魅力も無い!」
その後ジョブズは、6月に150万のアップル株が市場に出た時、ほとんどの観測筋がどう予測したかについて暴露した。これはジョブズがNeXTの売却で手に入れた株で、保有することに同意した期間である6カ月が過ぎると、すぐに売り払ってしまったのだ。
ジョブズは「そう、私はアップルの取締役会が何かするだろうという期待は、もうほとんど抱いていなかった。株が上昇するとは思わなかったんだ」とTime誌に語った。「それで従業員が動揺するなら」と彼は付け加える。「喜んでピクサーに帰るよ。」
しかしその売却は、財政的な戦略としてあまり賢いとは言えなかったことが判明した。ジョブズがアップルに戻って間もなく行った、極めて重要な発表により、アップル株が急上昇したのだ。すなわち、マイクロソフトとの提携である。
8月6日、ジョブズはボストンで開催されたMacworld Expoのステージに上がり、大勢のアップルファンに、アップルとマイクロソフトが長期にわたる「ルック&フィール」特許の争いを解決したこと、レドモンドがアップルの無議決権株1億5000万ドルを獲得し、それを最低3年は売却しないことで合意したこと、そして最も重要なことに、ゲイツらが5年間、Mac上でMicrosoft Officeのサポートを続けると約束したことを告げた。
Macworld Boston 1997
当時、狂信的なアップルファンたちは、マイクロソフトを悪の帝国、ビル・ゲイツを大魔王とみなしていた。そしてジョブズは彼らの感情を鎮めるため最善を尽くしたとは言えなかった。たとえば、1996年のドキュメンタリーTriumph of the Nerdsで、彼は語っている:「マイクロソフトに関する唯一の問題は、センスが無いということだ。些細な点について言っているんじゃない。彼らは独創的なアイディアを生まないとか、自分達の製品にあまり文化を持ち込まないといった、大きな意味で言っているんだ。」
このような考えを持っているのは、ジョブズ一人ではなかった。そしてMacworldの基調講演で、彼がマイクロソフトとの取引を発表した後、ジョブズの背後にある巨大スクリーンに、衛星中継によりビル・ゲイツが登場すると、かなりのブーイングが起きた。しかしこれらのブーイングは、巨大なマイクロソフトによる支持こそ、アップルがまさに必要としているものであることを理解していた、より合理的なMacファンの喝采によりかき消された。
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ジョブズはやじを飛ばす観客をたしなめた。「アップルが勝利するには、マイクロソフトが敗北しなければならない、という考えを捨てなければなりません」と彼は言った。「アップルが勝つためには、我々が本当に良い仕事をしなければならない、という考えを受け入れる必要があります。そして誰かが手助けしてくれるなら、それは素晴らしいことです。何故なら私たちは、手に入れられる限りのあらゆる援助を必要としているのですから。」
ジョブズはこうも指摘した。「もし我々が失敗し、きちんとした仕事をしなければ、それは他の誰の責任でもないのです。」
そして彼はTime誌の記者に、失敗が非常に気がかりだと語った。「アップルには途方もない資産がある」と彼は言う。「だが、ある程度気を配らなければ、この会社はもしかしたら、もしかしたら… ピッタリの言葉を探しているんだが… もしかしたら…」しばらくの間の後、「死んでしまうかもしれない。」
ジョブズの心配は、彼一人のものではなかった。マイケル・デルが1997年10月、アップルを経営していたら何をするかと聞かれた時、ITxpo97の観衆に語ったことは有名だ:「私が何をするかって? 経営を停止し、株主に金を返すよ。」(原文)
© The Register.
(翻訳:中野恵美子)
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