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2024.04.20(土)

[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第9回

スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第9回
?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

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スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第9回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

再びクパチーノへ

トイ・ストーリーの成功後、ジョブズは裕福だったかもしれないが、その富は彼にとって不慣れな業界から得たものだった。隣人のHPエンジニア、ラリー・ラングが見せてくれた物をいじりまわしていた12歳の頃から、初恋の相手はハードウェアだった。

そして彼はアップルを恋しがっていた。「それは人生初の恋愛のようだった」と、1996年11月、彼はNew York Timesのレポーターに語った。「どういう結果になるかに関係無く、常に特別であるような何かだったんだ。」

ジョブズにとって幸いなことに、アップルはひどい状態にあった。笑いもののNewtonは上手く行かず、アップルはきちんと考えられていないOSライセンス方式で金を失っており、Windows 95の成功のおかげで、マイクロソフトにやられっぱなしだった。

Ellen Hancock

エレン・ハンコック


Macのオペレーティングシステムは時代遅れで信頼性が低く、改良に向けた努力は行き詰まっていた。アップルの「Pink」OSスカンク・ワークスは、Taligent製作のためIBMに統合されており、これは最終的に、IBMオンリーのCommonPointに移行したが、間もなく姿を消した。アップルの次なる新OS、Coplandはあっと言う間に行き詰まる。

生真面目なアップル新CTOエレン・ハンコックは、Coplandは見込みが無いと判断して、開発を中止し、1996年、Macのオペレーティングシステム(当時はSystem 7.5)に代わる、サードパーティのオペレーティングシステムを物色し始めた。

最初アップルは、ジョン・スカリーがジョブズに代わりアップルのハードウェア部門の長を引き継がせるために選んだ人物、ジャン=ルイ・ガセーに、彼の会社Beと未完成のBeOSを買収する話を持ちかけた。このOSは、同社のBeBoxハードウェアに搭載される予定だった。ガセーはしかし、このオファーがあまりに安いと考え、2億ドルを求めていた。アップル会長兼CEOギル・アメリオに「法外」と言わしめた金額だ。

ガセーとアップルの話し合いは、機密性があまり保持されていなかったため、自身のオペレーティングシステムを広めようとしていたジョブズが、クパチーノにコンタクトをとった。アメリオは国外にいたため、ジョブズはハンコックにメッセージを残した。

Jean-Louis Gass?e

ジャン=ルイ・ガセー


「スティーブ・ジョブズが電話してきたと知って、私はギョッとしました」と、彼女は当時の思い出をNYTに語っている。「ですが、すぐに折り返したんです。」

その時の会話で、ジョブズはNeXTStep/OpenStepの売り込みはせず、ただオペレーティングシステム一般について、そしておそらくは、特にガセーとBeについて話し合ったと報告されている。しかし、抜け目のないハンコックならピンと来たはずだ。

数日後、NeXTのマネージャー2、3人が彼らの裁量でアップルにコンタクトをとり、アップルのエンジニアが彼らと面談した。すぐにジョブズ自身がクパチーノに招かれ、アメリオ、ハンコック、そしてアップルの戦略家ダグ・ソロモンと話し合った。「1985年に離れて以来、アップルキャンパスに足を踏み入れたのは、このときが初めてだった」と、ジョブズはNYTに語った。

1週間後、シリコンバレーのITエリートたちが良く出入りするパロアルトのホテルで、NeXTとBeはそれぞれ別にアップル最高幹部との会合を持ち、ジョブズとアップルは口説き合っている、という噂が流れた。

そしてアップルが興味を持っていたのは、ジョブズのオペレーティングシステムばかりではなかった。「我々は内部で、いつも彼について話していました」と、当時ハンコックは語っている。「私たちは彼が、新興の市場とテクノロジーの分野で、これからどうすればいいのか示してくれることを期待していたのです。」

1996年12月20日、アメリオはNeXT Softwareの買収を発表した。まもなくアップルの前CEOとなる彼は、「我々はプランBeの代わりにプランAを選びました」と冗談を言ったと報告されている。

Gil Amelio and Steve Jobs at Macworld Expo 1997

1997年のMacworld Expoでスティーブ・ジョブズと共にステージに立つ、当時のアップル会長兼CEOギル・アメリオ


そして1997年1月7日、アメリオはサンフランシスコで開催されたMacworld Expoで、考えられる限りで最も混乱し、長々ととりとめのない基調講演であると、多くの参加者の失笑を浴びたスピーチを行った。筆者はこの基調演説について「ひどいパフォーマンスのPerformaや面白みのない他のマシンで構成される、雑然としたアップルのプロダクトラインにこそふさわしいフォーカスの欠如」と表現したことがある

有り難いことに、アメリオはスピーチを終わらせ、アップルが買収したばかりの物のデモを行うため、ジョブズをステージに招いた。NeXTStepと最先端のOpenStep開発環境だ。ジョブズが颯爽と壇上に現れ、晴れやかな表情で歩き回りながら彼の素晴らしいソフトウェアを披露すると、アメリオの退屈きわまりない演説を1時間以上じっと我慢していた観衆は狂喜。彼の熱狂的ファンは手がちぎれそうなほど拍手した。こうして新たな時代、ジョブズ、そしてアップル双方にとって新しい時代が始まった。

ではハンコックは? スティーブを彼の「最初の恋愛」に戻らせるために、アップルの誰よりも多くのことを成した人物はどうなったのか? すぐにアップル経営陣の間で噂が広まり始めた。ジョブズが陰で彼女を「愚か者」と相手にしていなかったというものだ。

アップルがNeXTのために現金と株式で支払った4億2700万ドルのうち、ジョブズは自身で1億ドル取り、取引の一部であったアップルの150万株すべてを保有した。NeXTの職員は誰一人、1株も受けとらなかった。

善きスティーブ。悪しきスティーブ。(原文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター
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