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[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第6回

スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第6回
?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

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スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第6回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

思いがけない映画界の大物

ジョブズがアップルコンピュータを去った直後、NeXTが破綻した時に彼の窮地を救う事になる1000万ドルの投資を行った。部分的にはハワードという名のアヒルのおかげで可能になった投資だ。

アメリカン・グラフィティスターウォーズで有名なジョージ・ルーカスは1983年に離婚し、カリフォルニア州法により妻に財産分与を行った。彼は次の映画ハワード・ザ・ダックを完成させるため、現金を必要としていた。

ルーカスの会社ルーカスフィルムには、CGIという呼び名が誕生する以前から、コンピューター生成画像を作成した小さな部門があった。1982年のスター・トレックII:カーンの逆襲の「ジェネシス効果」のシーケンスは、同部門の草分け的功績の初期の一例だ。

Pixar Founding Documents (source: Alvy Ray Smith)

ピクサーの設立文書
(提供:Alvy Ray Smith クリックすると拡大)


ルーカスは同部門を3000万ドルでジョブズにオファーした。The Wall Street Journalによれば、最終的にジョブズは1000万ドルまで減額させ、ルーカスに500万ドル、新会社に500万ドル投資したという。ジョブズは新会社をピクサーと命名し、1986年2月3日に設立したハワード・ザ・ダックは同年8月1日に封切られ、史上最悪の映画の1つとののしられる。

ジョブズには良い取引となった。

ピクサーは当初、非常にニッチな領域、すなわちハイエンドのコンピュータグラフィックスにフォーカスしていたとは言え、基本的にはコンピュータ会社の一つだった。同社のピクサー・イメージ・コンピュータは、1桁かそれ以上値上がりしたスティーブ・ジョブズのNext Computerだ。

最初のピクサー・イメージ・コンピュータは気候、工学、科学および医療向けの画像製作を目的に設計され(1987年のデモリールを見て欲しい)、価格は135,000ドル、実行には35,000ドルのSunもしくはSGIワークステーションが必要で、あまり売れなかった。必要最小限を装備した次のバージョンP-IIでは、価格は30,000ドルに下げられた。しかし、よりパワフルな後続機PII-9も更に高価だった。3GBのRAIDアレイだけで300,000ドルもした。

ジョブズはピクサーのハードウェア部門に気を配ってはいたが、同社のアニメーション制作陣を細かく管理することは無かったと、どこで聞いても言われている。ピクサー役員の1人ラルフ・グッゲンハイムは、ジョブズがピクサーのオフィスにやってきたのは、「1986年と1992の間に5回程度にすぎなかった。誇張ではなく」とDeutschmanに語っている。

The Pixar Image Computer

ピクサー・イメージ・コンピュータ:ステロイド剤(それも大量の)でパワーアップしたNeXTボックス


ジョブズはしかし、途方もない額のキャッシュをピクサーに投入した。ピクサー・イメージ・コンピュータを販売するためで、アニメーション作品の開発のためではなかったが。そしてそれは上手く行かなかった。ジョブスのNeXTボックスの様に、ピクサー・イメージ・コンピュータはヒットしなかったのだ。300台足らずしか売れず、同ビジネスは1990年、200万ドルでVicomに売却された。Vicomは1年後、破産している。

伝えられるところでは、ジョブズは1987年と1988年に、ピクサーのちっぽけなアニメーショングループを閉鎖しようとしたが、California Lottery、Lifesavers、Volkswagenのコマーシャルを制作するなど、同グループは利益センターとなり始めていた。ディズニー・スタジオがイメージ・コンピュータの主要取引先だったという事実もあって、最終的に同グループは会社の救い主となった。

ピクサーの短編コンピュータ・アニメLuxo Jr、そしてアカデミー賞を受賞したティン・トイにより、ピクサーがめざましい成功を収めた後、ジョブズはこれら短編や、アニメーション・グループが収益を上げた広告作成で使用した3DソフトウェアRenderManの大量販売向け商用バージョンを販売することで、ピクサーを救おうとした。

Luxo Jr.

Luxo Jr スティーブ・ジョブズが(後に)億万長者になるのを助けた小さなランプ




その努力は、一つにはRenderManの複雑さが原因となって、不首尾に終わる。まもなくジョブズは、NeXTとピクサーという、絶体絶命な2つの会社を抱えることになった。ジョブズは自分が設定した融資限度額を通じて、経営難のピクサーに対して資金を供給し続けたが、全従業員に彼らの持ち株を返させ、自身が同社の単独所有者ともなった。

しかし1990年秋、ピクサーのトップクリエイティブ数名が、彼らのソフトウェアと専門知識で、初の長編CGアニメ作成に協力することに関し、ディズニー・スタジオと話し合いを始める。1991年にはジョブズが交渉に参加。1991年5月までにディズニーと3本の映画制作の契約を結び、トイ・ストーリーの制作が開始された。

ジョブズは当時知らなかっただろうが、その取引と彼が同社の単独所有者であるという事実が、まもなく彼を非常に、非常に裕福にした。しかしその前に、彼のキャリアは地に落ちることになる。(本文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター
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