何年かぶりに GMO サイバーセキュリティ byイエラエ株式会社の牧田誠を取材したのだが最初に書きたくなったのは徳川綱吉のことである。
従来の価値観を劇的に変えようとする試みは、往々にして同時代から激しい批判を浴びる。綱吉が発令した「生類憐れみの令」もその筆頭だ。
当時は「犬をお犬様と呼ばせる奇法」とさんざんに嘲笑批判されたが、近年の研究では、戦国期の荒々しい気風が残る社会に対し「人間の命をも大切にする倫理観」を植え付けるための強力な政策転換であったとみなされている。水戸光圀の若い頃の不逞な逸話(仲間からカジュアルに「辻斬り」に誘われるエピソード)に見られるような、当時の人々に残っていた暴力性や生命軽視の風潮を拭い去り、命を尊ぶ社会構造へ更新するための、極端だが革新的アプローチであったと解釈できるという。
2023 年、GMO サイバーセキュリティ byイエラエは、同社が開発したセキュリティ診断サービス「ネット de 診断」を用いて、ある試みを実行した。GMO インターネットグループが提供する一部サービスの利用者に向けて、セキュリティ診断をオプトアウト方式で一斉に行ったのである。規約に基づいた行為ではあったが、多くのユーザーにとって、それは唐突なものと映った。これもまた、意図して極端に振り切った、それまでとは全く違う価値の提案を行う一種のショック療法のような試みであったのだろうと思う。
そもそも GMO という企業は、インターネットの大衆化と商業化を進めて成長した企業であり、ネット黎明期からの利用者や、クリエイティブな技術者ユーザーが多く、批判的な評価が寄せられることも少なくなかった。
あれからもう約 3 年が経ったわけだが、検索してみると、Web 制作会社などが「ネット de 診断」を肯定的な文脈でブログ等で紹介する記事を(もちろんそれほど数は多くないが)複数件見つけることができた。制作会社のブログやオウンドメディアに書かれる記事とは、基本「顧客が知りたいこと」「知りたいと推定されること」だけを書くのであるから、少なくともその会社は「顧客はセキュリティのことを知りたい」と思っていることになる。これは社会の意識変化の小さいが大きい一歩と言えるかもしれない。小難しい、あるいは七面倒くさいセキュリティの話題なんて出したら、せっかくのマーケティングメッセージが台無しになる、セキュリティの話題を出すと購買意欲を削ぐ、少なくともそれが少し前までのセキュリティ業界を除く一般業界の常識だったはずだ。
取材で牧田誠は、日本のセキュリティの根本的課題はサイバー攻撃の被害を「他人事」と考える意識であり、2023 年の「ネット de 診断」による既存ユーザーへのスキャンは、まず脆弱性を可視化することで、他人事ではないと理解してもらうことを目的に「相当な批判を受けることを覚悟して始めた」と記者に話してくれた。
その予想通り SNS を中心にまんまと「相当な批判」を受けたわけだが、にも関わらずその後大きくブレることがなかったのは、経営者として組織として、そしてグループ全体として、その「覚悟」が一枚岩になっていたからだろう。
「みんながこれまで通り、セキュリティの課題を他人事と考え続け、やがて片っ端から被害が出るようになって初めて自分事だったと気がつく。そんな状況になることだけは避けたい。そうならないようにできることをしていきたい(牧田誠)」
残念ながら 2026 年現在、サイバー攻撃のための情報収集を行うクローラがネットを駆け巡り、脆弱性が放置されたウェブサイトや EC サイト、Web アプリ、会員管理システムなどを見つける先からリスト化し、AI で優先順位をつけて、国籍も規模の大小も関係なく、無差別的にランサムウェアなどが配布されまくっているのが今の状況なわけで、すでにして十分「片っ端から被害が出る」状況が出来(しゅったい)している訳だが、ひょっとしてこれよりも酷い世界線を牧田は 3 年前に見ていたのかもしれない。
GMO インターネットグループが管理するドメイン数は 2026 年 12 月期の決算短信によれば累計 1,424 万件。2023 年にはそのうち約 500 万ドメインに対してスキャンが行われたという。趣旨的には違うがその後の計画的かつ安全な社会運営のために一斉かつ網羅的に実施されたという点で、同じく日本史の太閤検地や刀狩りのようなエポックな政策と似ていると考えることもできるかもしれない。状況を把握しないと守ることもできないからだ。
そして今年 2026 年 1 月、GMO サイバーセキュリティ byイエラエは、診断対象とするドメインを 1ドメインに限定した小中規模企業向けサービス「ネット de 診断 Lite」の提供を開始した。税抜月額 4,280 円からというかなりの廉価サービスである。ちなみに、GMO ブランドが月 4,280 円のサービスを売っているという見方をすると高いと思うかもしれないが、ASM を月四千円台というのは、実は超絶安いということを、この後の記事展開上、ここに書いておく。
さて、その超廉価の「ネット de 診断 Lite」なのだが、壊滅的に売れていないことが本誌の取材によって明らかになった。
書いて良いという許可を得ているので記すが、「ネット de 診断 Lite」は 1 月の提供開始から取材実施時の 6 月までの約半年で、無料トライアル利用件数が 50 ~ 60 件、契約に至ったユーザーは十数件だという。
数十件ではなく十数件である。正直すぎる。もはや爆死と言っても過言ではないかもしれない。思うに、もし 18 件なら「約 20 件」と言うのではなかろうか。つまり 15 件未満ではないかというのが俺の見立てである。まとめると 15 件 × 4,280 円 = 64,200円 / 月次売上、という目を覆うような数字が試算される。
ここで「ネット de 診断」について、サービスの成り立ちと変遷を簡単に整理しておこう。
「ネット de 診断」の提供開始は 2023 年 3 月。当初のフェーズで目指したのは、GMO インターネットグループの顧客に対する提供だった。冒頭で触れたオプトアウト方式の一斉スキャンは、この時期の試みにあたる。
次のフェーズで同社は「ネット de 診断」の対象をエンタープライズ・中堅企業へと広げた。
そして今回、2026 年 1 月に投入されたのが、対象領域をさらに広い層、すなわち中小企業へと向けた「ネット de 診断 Lite」である。三つのフェーズは、いずれも「より広い層へ」という一貫した方向性の上にある。
「ネット de 診断 Lite」は廉価版だが、機能を削った仕様ではない。価格が Lite なのである。従来のエンタープライズ・中堅向けプランの最低価格は、月額 4 万円で 10 ドメインまで診断することができた。「Lite」は、これを 1 ドメイン単位にいわば切り売りするサービスだ。同社が誇る攻撃者視点のノウハウを結集させた ASM ツールという点では、エンタープライズ向けと Lite にほとんど差はない。(なお、攻撃者視点に精通した GMO サイバーセキュリティ byイエラエの技術者の知見がどのようにネット de 診断に集積されているかは開発担当の市川遼に取材した本誌記事を参照)
先に「 ASM が月四千円台は超絶安い」と書いたが、その理由は業界の価格戦略の構造にある。
一般的なセキュリティ企業がサービスをある程度以上安くできないことには明確な理由がある。セキュリティ製品を購入するのは主にエンタープライズや大企業に限られるから、対象となる母数がそもそも少ないのだ。その少ない母数に人的な営業コストをかけて販売する以上、単価を下げれば事業そのものが成立しなくなる。ここで GMO グループの存在が効いてくる。GMO は多数のインターネットサービスの顧客を擁している。だからこそ攻めた価格設定が可能になる。
それにしても、なぜ牧田は取材の場で、サービス提供開始から半年も経って契約件数が十数件などという爆死とも言える状況を隠しもせず臆すこともなく語ったのだろう。それは、ここにもひとつの覚悟があるからだ。
多くの中小企業の経営者・担当者がセキュリティの必要性をそれほど認識していない以上、そもそも「中小企業向けサイバーセキュリティ製品・サービス」などという市場自体が日本には十分に立ち上がってはいない。牧田誠は取材で「市場を作っていく」と語った。ドラッカーの言う「顧客の創造」である。売れないことを承知の上で始めたことだから、外に対して何も取り繕う必要などないのだ。むしろ売れるのだとしたらやる意味はなかったとも言える。
つまり、勝算が今時点でゼロに近い(成約件数が十数件)ことなど始める前からわかっており、しかし「今やらねばならない」という理由から挑んでいる。さしずめ「ネット de 診断 Lite」は巨人兵士に挑む羊飼いの少年が手にする投石器である。
こんな試みができる経済的基盤について最後に書いておこう。「ネット de 診断」は事業全体で見ればむしろ順調に伸びている。提供開始からまだ 3 年にもかかわらず、今年で ARR(年間経常収益ベース)は 6 ~ 7 億円規模に達する見込みだという。そしてこの 6 ~ 7 億円には、日本のセキュリティ業界的にもエポックな意味がある。
牧田によれば、かつて日本のセキュリティ診断関連ビジネスには「 1 社 5 億円の壁」があると考えられてきたという。一社あたりの売上規模として、それ以上市場が広がらない限界の目安として、業界内でしばしば語られてきた数字だ。つまり「ネット de 診断」は 2026 年にその壁を超えるかもしれないのだ。グローバル企業であるトレンドマイクロなどをのぞいて日本のサイバーセキュリティ関連の上場企業がいずれも時価総額がかわいらしい規模にとどまっている現在、これは業界の希望とも言える数字である。
2022 年に株式会社イエラエセキュリティが GMO グループ入りした際に行った牧田誠へのインタビューで記者は「それにしてもなぜ GMO なんですか? 日本における Google くらいの格の企業グループに入ってもおかしくないでしょうに」と、いま思い出すと多方面に流れ弾を発射するような失礼な質問をうっかりしてしまっていたが、それに対する牧田の回答は、「日本のドメインの 9 割、レンタルサーバーの 6 割のシェアを GMO インターネットグループが保有しており、全サービス合わせて 1,400 万社の顧客基盤を持つ GMO と資本提携を行うことで『日本全体を守る』という夢を最短で実現できる」と語ったことを今回の取材で思い出した。
500 万ドメインに対してセキュリティ診断をやりきったのだから、ある程度牧田誠は本懐を遂げたと言えるのだろうか。少なくとも記者は「相当な批判を受けることを覚悟して始めた」と語ったときの牧田の表情に誇りを感じた。間違いなく反発が予想されると自覚してあえてやる行動には何か志や愛の存在を感じる。
