世界はこれまで国家(State)が中心的なアクター(主体)となることで動いてきた。今でも多くのことは国家を単位に語られることが多い。しかし近年それ以外のアクター = 非国家アクター(Non State Actor)の重要性が増してきた。もっとも注目されている非国家アクターはいわゆる GAFAM などのビッグテックで、それ以外にも数多くの非国家アクターがいる。本連載ではこうした、まだ知られていない非国家アクターまたはよく知られている非国家アクターの知られていない面を取りあげてご紹介してゆきたい。
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「事例主義者はその本質において陰謀論者と同じく非論理的か非科学的であるが、当人の自己認識は論理的・科学的である。彼らは敬虔なジャーナリスト、研究者、政治家であり、陰謀論者のような突飛なことは決して言わない。そのため見分けることが困難だが、その毒は確実にあなたを蝕み、あなたも事例主義者に変える。マタンゴのようなものだ(一田和樹)」(編集部註『マタンゴ』1968年公開の日本のホラー映画。水爆実験で放射能を浴びたキノコを食べた人間が人格と理性を失い身体変容を遂げた形態)
●事例主義を使えばなんでも一見もっともらしくできる
「事例主義」とは、数少ない事例を全体にあてはまる法則であるかのように一般化する、あるいはそのように見せることを指す。問題となる事象が数少ないために、データを採取できたものを元に考えざるを得ないので、そうなることもあるし、真面目に事例研究をやっているうちに、そこで得られた知見が普遍的にあてはまると錯覚してしまうこともある。ビジネスプレゼンテーションの実に多くがこの事例主義で成り立っている。
うがった見方をすると事例主義とは「未開拓の領域において先駆的に業績をあげるためのもっとも手っ取り早い方法」なのである。
未開拓領域なのだから研究対象となる事例が当然限られており、先行事例も少なく、競合となる研究者もいない。ある意味で、早い者勝ち、やったもん勝ちの世界なのだ。
しかし前述したように、その事例だけに限定するならば確かに科学的、論理的な分析結果が得られるのだが、しかしそれは一般化できないので事実上使いものにはならない。もちろん、事例が多く集まったり、全体傾向を把握できる調査研究を実施できるようになれば、個々の事例の位置づけもわかり、役立つようになる。しかし、言葉の定義すら曖昧な未開拓領域でバラバラに事例研究ばかりやっていても事態は先に進まない。集めても集めても、それぞれが偏っており一般化できないという事実がわかるだけだ。
しかし、注目されている先進の未開拓領域で結果を出すことは、耳目を集めたり、評価されたり、新規プロジェクト開始の了承を得たり、あるいは事業資金を得やすくなる可能性を高めてくれる。
ちなみに事例主義がもっとも猖獗を極めているのはメディアの報道である。事件や問題が起きると、それが日本全国で起きている、あるいは、その時代や世代に蔓延しているかのような報道になっているような表現をするのは、悪しき事例主義そのものと言える。
新しい技術を使った製品で問題が起きるとバッシングされることがある。どのようものでも一定の確率で事故は起こる。だが、同様の事故を徹底的に取材して報道することで、その一定の確率のみを根拠に技術のボイコットに発展してしまう。
医療の世界でも同じだ。一定の確率で薬や治療で事故は起きる。しかし事例主義的報道によって、時として薬や治療法そのものへの拒否反応につながる。
まだ一定の確率で問題が起こることを社会の多くの人が理解している、あるいはしやすい事象はいい。しかし、たとえば「偽・誤情報」は新しい問題ということもあって、そうではないのだ。
メディア、特に新聞などの日本のメディアは、世論のアジェンダを設定することに無上の価値をおいていることが多いらしく、自社の記事で世論が喚起され、政治家や実業家が辞任すると記者のみなさんは歓喜の渦に飲まれるらしい。そういうとき事例主義は最高の手段になる。
なにしろ世の中のほとんどのものは許容範囲の確率でトラブルや問題を起こす。科学的、論理的には許容範囲であっても、事例主義的にそこだけにフォーカスしてくり返しくり返し取り上げれば、天文学的な確率で起きた事故でも大問題にすることが可能だ。
さらに先進領域であればあるほどこうしたギミックはバレにくいうえ、なにより前述したように本人自身が「正しいこと」「よいこと」「論理的なこと」「科学的なこと」をやっていると錯覚して一片の疑いも持っていない。
偽・誤情報の世界では、たった 1 件のロシアの作戦から、今後の国としての対策を日本政府提言しているようなレポートが実に多い。事例主義者の鏡のような風呂敷の広げ方だ。
ロシアは他にもさまざまな作戦を展開しているし、そもそも偽・誤情報は全領域の作戦の一部に過ぎないのだから、そこだけにフォーカスして対策を提言できるわけがない。しかし、悪しき事例主義的傾向が蔓延しており、目にする偽・誤情報関連の調査研究の多くは事例研究であり、その結論あるいは提言は事例主義に陥っていることが少なくない。