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2024.04.19(金)

[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第3回

スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第3回
?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

国際 TheRegister
スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第3回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

Macintosh

1979年、ジョブズはXerox PARC(パロアルト研究所)を訪問した。誇張を恐れずに言えば、彼を、アップルを、そしてパーソナル・コンピューティングを変える事になった、今や有名となった訪問だ:

「彼らは三つの物を見せてくれたんだ」と、1996年、PBSシリーズ「Triumph of the Nerds」のインタビューで彼は語った。「でも僕は、最初の一つに衝撃を受けて、残りの二つは目に入らないに等しかった。」 それら二つのものとは、アラン・ケイらにより作成されたオブジェクト指向プログラミング言語SmallTalkと、ボブ・メトカーフのイーサネットを介した、100台を超えるXerox Altoコンピュータのネットワークだ。

「彼らが最初に見せてくれたグラフィカル・ユーザー・インターフェイスに、目が眩んでしまったんだ」とジョブズは思い起こす。「自分の人生でこれまでに見た最高の物だと思ったよ。」 アップルはGUIベースのコンピューティングを一般に広めようと固く決心し、彼はXerox PARCを後にした。

Apple Lisa
アップルのLisa 悪名高い「ツイギー」ドライブがソニーの400KB「マイクロフロッピー」にアップグレードされたもの

アップルの最初の成果は(ジョブズがすぐにプロジェクトからはずされたため、主に彼無しで制作されたのだが)、「ツイギー」という名のみすぼらしいフロッピー・ドライブを装備した10,000ドルの恐竜Lisaだった。これは、理由は分からないが、1977年に当時のガールフレンド、クリス-アン・ブレナンとの間にできたの名をとってジョブズが名付けたものだが、(LisaはLocal Integrated Software Architectureの頭文字を取ったものであるとアップルは主張したものの)公式に認められたことは無い。

Lisaプロジェクトから追い出された後、ジョブズはアップルの社員で、マス・マーケットにふさわしい安価なコンピュータを構築することに興味を抱いていたジェフ・ラスキンのおかげで、次のチャンスを得た。ラスキンは1979年後半、彼がMacintoshと呼んだプロトタイプを開発していた。この時はまだ、GUIを搭載したデバイスではなかったが。

ジョブズは1981年、バレル・スミスやバド・トリブルといった、現在よく知られるアップルの有名人が参画した後、実質的にはラスキンのMacintoshプロジェクトを乗っ取った。ジョブズはまもなく、プログラマーのアンディ・ハーツフェルド、ビル・アトキンソンなどを仲間に引き入れる。ジョブズの独裁的なマネジメント・スタイルはすぐに、チームから「現実ゆがみフィールド(Reality Distortion Field)」と呼ばれるようになった。

Apple's original Macintosh
オリジナルのMacintosh MacPaintとなめらかに動く手のおかげで「hello」と言っている

Macintoshの開発は、海賊旗の翻る建物に落ち着いたチームの手で継続された。彼らは、ジョブズのものとされる様々な言い回し、基本的には「海軍に入るくらいなら海賊になった方がいい」という言葉で要約される言葉に触発されていた。

LisaはMacintoshに1年先行して市場に出た。ニューヨークの新製品発表会に出席した際、ジョブズは当時のペプシ社長ジョン・スカリーと会合を持った。前年、マークラによりマイク・スコットが解雇されており、スカリーにアップルの統率を引き受けて貰うことを目的としていた。

その会合で、ジョブズは有名な言葉でスカリーに迫ったことが、1987年の本「Odyssey」で、ペプシ社長により語られている。「このまま一生、砂糖水を売りつづけたいか、それとも世界を変えたいか?」と。スカリーはアップルのオファーを受け入れた。

ジョブズによる卓越した営業手腕だったが、後に彼は後悔することになる。

いずれこの誤算が彼を悩ませることになるものの、その前にジョブズは大きな勝利を味わった。1984年1月22日、第18回スーパーボウルの第3クオーターで放送された、リドリー・スコットの名高い1984広告が視聴者にこう語った:「1月24日、アップルコンピュータはMacintoshを発表します。そして1984年が何故、小説「1984年」のようにならないかが、お分かりになるでしょう。」

一般には、同CMがテレビ放映されたのは、このとき一度だけと思われているが、そうではかった。ジョブズらは巧みなトリックをやってのけていた。1984それ以前に一度、テレビ放送されたのだ。1983年12月15日の午前1時、当時、人口およそ55,000人だったアイダホ州ツインフォールズで。1984が1983年の広告賞で検討されるようにする計略だった。(原文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター
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