[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第2回 | ScanNetSecurity
2024.03.29(金)

[特別連載] スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第2回

スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第2回
?小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

国際 TheRegister
スティーブン・ポール・ジョブズの人生と時代 第1部 第2回
~小学校の暴れん坊からiMacによる復活へ

By Rik Myslewski in San Francisco
Posted in PCs & Chips, 6th October 2011 01:57 GMT

アップルコンピュータの誕生

1975年はAltair 8800キットがPopular Electronics1月号の表紙に登場した年で、一般にパーソナルコンピュータが誕生した年と考えられている。

この画期的な出来事の直後、エレクトロニクスマニアたちがホームブリュー・コンピュータ・クラブを作った。ジョブスとウォズニアックのほか、メンバーにはジョージ・モローアダム・オズボーンリー・フェルゼンスタインなど、その後、名をなす人々が含まれていた。ウォズニアックが将来Apple Iとなる最初のプロトタイプを開発したのは、こうした活気ある交流の中だった。

Steve Jobs and Steve Wozniak

1975年のスティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアック


ウォズニアックが楽しく知的なチャレンジを感じていた所に、ジョブズはビジネスチャンスを見いだしていた。Altairがデビューした後、「マイクロコンピュータ」キットがあちこちに登場しており、ジョブズはウォズニアックの設計、ずばり、カラー表示可能なコンピュータの設計に、市場があると確信していた。

巧みな説得を受け、ウォズニックは会社を設立しよう、そして絶対アップルコンピュータと名付けようという、ジョブズの提案に同意した。その頃ジョブズが訪問したコミューンにリンゴの木があったからなのか、「Apple」が電話帳で「Atari」より前に掲載されるという事実ゆえなのか(電話帳を覚えていますか?)、ビートルズへのトリビュートなのか、この名称の本当の由来は定かではないが、それはジョブズのアイディアであり、ウォズニアックがこれに同意した。

The original Apple logo

アップルのオリジナルロゴ



1976年4月1日、ジョブズ、ウォズニアック、そしてジョブズのAtari時代の友人で2週間足らずで新会社を去ることになるロナルド・ウェイン(最近彼は自叙伝を出版した)の3人は、アップルコンピュータ設立の書類に署名した。カリフォルニア、マウンテンビューにある、「Byte Shop」という名の小さなギーク向けショップから、組み立て済みのApple Iコンピュータ50台の注文を受け、またウォズニアックのHP-65カリキュレータ、ジョブズのVWバンを売って得た金で、同社は営業を開始した。

Apple Iはトータルでおよそ200ユニット売れたが、華々しい成功とは言えなかった。伝えられるところによれば、ジョブズはそれを777.77ドルで売りたかったのだが、ウォズニアックは高すぎると考え、価格は666.66ドル、現在の価格に換算すればおよそ2,500ドルになったという。

ウォズニアックが次に作ったApple IIは、全くの別ものだった。ウォズニアックは拡張スロットを装備しなければと言い、実際にそうなった。ジョブズはファン無しで動作すべきだと言い、2人はより小さく、より熱の少ない切換電力供給装置を開発する人材を雇った。

しかし、はるかに重要なのは、アップルの未来の製品開発すべてに影響を与えることになる、ジョブズとウォズニアックの決意だった。すなわちApple IIを、使いやすく、オペレーションはシンプルで、消費者に優しく設計された完全なシステムにしようという決意だ。インダストリアル・デザインにも、ジョブズは気を配った。Apple IIのプラスチックの外観を損なわぬよう、ネジはすべてプラスチック・ケースの下に隠された。

Apple II with monitor and floppy-disk drives

すばらしく派手なApple II 全ギークの憧れの的だった(提供:oldcomputers.net)



ジョブズはこの時点で、さらに重要な行動を起こしている。主要な投資家でありビジネス・アドバイザーとしてマイク・マークラをくどいたのだ。彼は1977年1月、2人の創始者と共にアップルに加わった。マークラは2人にマイク・スコットも紹介し、駆け出しの会社の社長として彼を雇うよう説得した。スコットとジョブズは、ほとんど会うなり衝突した。最終的にジョブズを追放へと導いた数々の争いの、これが幕開けだった。

1977年4月17日、Apple IIがWest Coast Computer Faireでデビュー。その後、長きにわたり、どのアップルのプレスリリースでも言及されたように、「パーソナル・コンピュータ革命に火を付けた」のだった。(原文

© The Register.


(翻訳:中野恵美子
略歴:翻訳者・ライター
《ScanNetSecurity》

Scan PREMIUM 会員限定記事

もっと見る

Scan PREMIUM 会員限定記事特集をもっと見る

カテゴリ別新着記事

「経理」「営業」「企画」「プログラミング」「デザイン」と並ぶ、事業で成功するためのビジネスセンスが「セキュリティ」
「経理」「営業」「企画」「プログラミング」「デザイン」と並ぶ、事業で成功するためのビジネスセンスが「セキュリティ」

ページ右上「ユーザー登録」から会員登録すれば会員限定記事を閲覧できます。毎週月曜の朝、先週一週間のセキュリティ動向を総括しふりかえるメルマガをお届け。(写真:ScanNetSecurity 名誉編集長 りく)

×