柳井 政和 作 「QR ―Trojan Room coffee pot―」- 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー | ScanNetSecurity
2024.07.27(土)

柳井 政和 作 「QR ―Trojan Room coffee pot―」- 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー

そのアジトには併設の喫茶店がある。Trojan Room coffee pot。木製のテーブルに白い壁がまぶしい空間。三十一歳の善光寺良成が、切り盛りする店である。

特集
柳井 政和 作 「QR ―Trojan Room coffee pot―」- 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー
  • 柳井 政和 作 「QR ―Trojan Room coffee pot―」- 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー
  • 柳井 政和 作 「QR ―Trojan Room coffee pot―」- 起こりうる事件 来たるべき世界 ~ サイバーミステリ小説アンソロジー
横浜駅の近くに、アジトという名前のコワーキングスペースがある。オフィスビルの三階にあり、プログラマーやデザイナーが気軽に訪れる場所になっている。開業したのは二年前の春。当初は赤字だったが、三回目の秋を迎えた今は黒字に転じている。そのアジトには併設の喫茶店がある。Trojan Room coffee pot。木製のテーブルに白い壁がまぶしい空間。三十一歳の善光寺良成が、切り盛りする店である。

「ゼンちゃん。コーヒーおかわり」

カウンターの向こうのだみ声に、マスターの善光寺は笑顔を向けた。

「堂守さん。そろそろお昼ですよ」

九時の開店からいる堂守英一は、日焼けした顔、ごま塩頭、ジムで鍛えた小柄な体の、五十二歳だ。堂守は、若作りのつもりか、いつもアロハシャツを着ている。彼はこのビルのオーナーで、オープン当初から通っている。

善光寺は、堂守と出会った頃を思い出す。大卒で入ったウェブ系企業が、上場企業に買収された。その会社はブラックな体質で、善光寺を含めて多くの仲間が心を病んだ。そうしたとき、大学の先輩に声をかけられてアジト創業に加わった。そして併設の喫茶店を任された。

「ここも賑わってきて嬉しいね」

堂守が、口元をゆるめながら店内をながめる。善光寺も顔を上げて見渡した。四卓あるテーブルの先、壁際の長机に、人だかりができている。男性数人に、常連の女性が一人。おかっぱ頭に眼鏡の女性は、地味だが笑顔が魅力的だった。

「なんですかね」

「なんだろうな。ちょっと見てこよう」

堂守は、ひょいと椅子から下り、客が集まっている場所に行き、戻ってきた。

「ロボットが置いてあってさ。コントローラーのアプリを、QRコードからダウンロードして操作できるんだ」

「へー」

「それで奴らさあ、面白がって遊んでいたんだ」

なるほど。この喫茶店は、アジトに併設している。誰かが開発中のロボットでも持ち込んだのだろう。

善光寺は、サイフォンのお湯に目を移す。なにかが引っ掛かった。小さな違和感が、善光寺の首を傾げさせる。自分に話を通さず、ロボットを置いたのはなぜだろう。

カウンター内の引き出しを開けた。数台のスマートフォンが入っている。一線からは身を引いているが、個人的な開発は続けている。そのデバッグに使っている機械の一つを選び、堂守に手渡した。

「すみません。こいつのカメラで、QRコードを撮影してきてくれませんか」

「よし、任せろ」

堂守は壁際まで走り、引き返してきた。

サイフォンの管を、お湯が上っていく。火を消したあと、堂守が撮影した写真に、別の一台をかざした。QRコード読み取りアプリを使い、URLを表示してタップする。リンク先は、アンドロイド向けアプリのページだ。その説明を読む。

――カメラを使い、ロボットの操作と動きを動画で記録します。その動画を専用サイトに投稿できます。位置情報で、どの場所にあるロボットかを共有可能です。

サイフォンのコーヒーが、ゆっくりとフラスコに下りていく。善光寺は、アプリの権限を確かめたあと、開発者情報を探す。企業だ。検索する。数人規模の開発会社だ。アジトと法人契約があるか調べる。あった。訪問履歴を表示する。今日、一人来ている。会社に電話をかけてロボットの件を尋ねた。

フラスコのコーヒーを堂守に出したあと、壁際の客に声をかける。

「すみません。ロボットの開発者から連絡がありました。大きなバグが見つかったので、いったんアプリをアンインストールして欲しいと。後日、最新版をアップし直すそうです」

えーっ、と残念そうな声が上がる。

「ちょっと、お店をお願いします」

堂守に告げ、ロボットを片付けたあと、隣の部屋に足を運んだ。

白を基調とした静かな空間に、木製の机が並んでいる。ノートパソコンを開いた男女が、軽やかにキーボードを叩いている。その中から一人の男性を探し、顔を寄せて声をかけた。

「飯島さん。奥の個室で話したいことが」

《柳井 政和》

編集部おすすめの記事

特集

特集 アクセスランキング

  1. 今日もどこかで情報漏えい 第26回「2024年6月の情報漏えい」ふたつの “完全には否定できない” 違いは どこを向いているか

    今日もどこかで情報漏えい 第26回「2024年6月の情報漏えい」ふたつの “完全には否定できない” 違いは どこを向いているか

  2. 能力のないサーバ管理者 サーバモンキーはネットセキュリティの危険因子

    能力のないサーバ管理者 サーバモンキーはネットセキュリティの危険因子

  3. アンチ・シリコンジャーナリズム それってデータの裏付けあるの? 前編「存在しない『炎上』の作り方」

    アンチ・シリコンジャーナリズム それってデータの裏付けあるの? 前編「存在しない『炎上』の作り方」

  4. Scan社長インタビュー 第1回「NRIセキュア 柿木 彰 社長就任から200日間」前編

アクセスランキングをもっと見る

「経理」「営業」「企画」「プログラミング」「デザイン」と並ぶ、事業で成功するためのビジネスセンスが「セキュリティ」
「経理」「営業」「企画」「プログラミング」「デザイン」と並ぶ、事業で成功するためのビジネスセンスが「セキュリティ」

ページ右上「ユーザー登録」から会員登録すれば会員限定記事を閲覧できます。毎週月曜の朝、先週一週間のセキュリティ動向を総括しふりかえるメルマガをお届け。(写真:ScanNetSecurity 名誉編集長 りく)

×