筆者は政治的、思想的には、空っぽというか、あまりそういうことを考えないのであるが、見たいものを見られなかったり、発信したいものを発信できないと不便というか、理不尽なものを感じる程度の神経は持ち合わせているのである。 昨今、さまざまな場面でのフィルタリングが、検閲に当たるんじゃないかということで問題になっているようだ。 掲示板やブログサービスなどCMSでの検閲やキャリア、プロバイダの検閲などが行われているようである。 知らない間にずいぶんといろいろ不自由になっているものである。放っておくとどんどん不自由になってゆくような気がする。 最近、ブログで判明した検閲だと、下記のようなものがあったらしい。ちなみに、筆者は下記に同意とか同感しているわけではありません。こういう見方をしている人もいるということで取り上げただけです。念のため。植草一秀の『知られざる真実』 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-d37f.html ふしぶじゑ日記「植草氏のブログ記事をめぐる不可解なURLフィルタリングについて。」 http://darsana.exblog.jp/8329833 キュレネの泉 gooが検閲しています http://similar.dtiblog.com/blog-entry-33.html 鳥居正宏のときどきLOGO「【告発】 gooブログは「検閲」をしている! ―言論・表現の自由を侵害―」 http://tokidokilogos.blog109.fc2.com/blog-entry-188.html ANTI-新P舎「改善が見られませんでしたのでブログを非表示といたしました。」 http://chikuma162.nomaki.jp/20070903.htm さらに、ご存じのように、携帯ではフィルタリングがどんどん進んでいる。未成年への悪影響を排除するためである。この傾向は加速するのでろう。 このへんのかねあいは、かなり微妙で、やらないとあっという間にゴミためと化してしまう危険があり、やりすぎると言論弾圧などと呼ばれることになる。 筆者は思うのであるが、そもそもこうした問題は、ブラックリスト方式に固有の問題なのではないかと思う。ブラックリスト方式は、基本を自由にして、問題のあるものを潰してゆく方式だ。問題のあるものが少ないうちはいいが、増えてくるとチェックが大変だ。当然、誤差も多くなる。 これに対してホワイトリストはあらかじめ許可を受けたものだけが、発信、利用できる方式だ。最初の許可を受けるまでが面倒だが、いったん受ければ自由にできる。現在のような匿名性がなくなる分、常軌を逸した言動も大幅に減少するだろう。 要は最初にチェックするか、後でチェックするかの違いである。チェックの手間から言えば、最初にチェックする方が簡単である。なぜなら… 【執筆:Prisoner Langley】【関連リンク】セキュリティコラムばかり書いているLANGLEYのブログ http://netsecurity.blog77.fc2.com/ ── ※ この記事は Scan購読会員向け記事をダイジェスト掲載しました 購読会員登録案内 http://www.ns-research.jp/cgi-bin/ct/p.cgi?w02_ssw